こんにちは♪
もうずいぶんカウンセリング関係の記事を書いていなかったことに気づきました。
研修などには出ていたんですよ!けしてサボっていたわけではないんです・・・(;一_一)
最近、研修で学んだことでなるほど~と思ったことがあるので書きたいと思います。
本来、研修で習った事例を外部に漏らすことは禁じられています(カウンセラーの倫理、個人情報保護などの観点から)。
しかし、この作文は私も誰が書いたものかわからず、短い作文ながら本当に素晴らしい内容です。
日本産業カウンセラー協会からクレームが入れば削除しなければならないかもしれませんが(さすがに退会まではさせられないでしょう・・・多分。というより目に止まらないことを祈る)、たくさんの人に、人の心とはどういうものか、またどうあるべきかを知ってもらいたいと思って記事にしました。
テキストは持ち帰ることができなかったので、暗記して帰ってきました。一字一句同じではありませんがいい内容だと思います。
※なお、あんずやひなたの記事とは違って重苦しい内容もあるかもしれませんのでコメントはしていただかなくてもいいです。興味のある方のみどうぞ。
「私は弟が嫌いだった。理由は両親の愛情を取ってしまうからだったと思う。
いつも「お姉ちゃんなんだから」と言われるのが嫌だった。
親の見ていないところで、蹴ったり、叩いたりもしていた。今思えば本当にひどい姉だったと思う。
気付いた時にはほとんど口もきかない仲になっていた。でも仲が悪いことを何とかしようとも思わなかった。
18歳になったある日、部屋の片づけをしていたら、机の引き出しから手紙が出てきた。
それは弟が幼いころ、私にくれたものだった。
手紙には、弟の汚い字で、
「だいすきなおねえちゃんへ。おたんじょうびおめでとう。たまにはぼくともあそんでくださいね」
と書いてあった。
私は涙が溢れた。なぜなら、その手紙は封さえ切られていなかったからだ。
お姉ちゃんに気に入られようと、仲良くしてもらおうと一生懸命に努力した弟の気持ちを、私は今までずっと踏みにじってきたのだと、今になって気付いた。
私は弟の部屋に行き、泣きながら今までのことを謝った。
すると弟は、「次に生まれてくるときは、俺がお兄ちゃんに生まれてくるよ。多分お姉ちゃんの立場のほうが辛いんでしょ」と言った。
ひどいことばかりしてきた私を、弟はどうして許してくれたのかわからなかった。
許しがあり罰のない世界とは、こういうことなのだと思った」
どうでしょうか。短い作文ながら、18歳のお姉ちゃんの気持ち、自分の行いを省み、気持ちを伝えることの大切さ、言葉の裏にたくさんの思いが詰まっていて考えさせられます。
また、そのことを作文に書き、他人に読んでもらうこともとても勇気のいることです。
これまで、どうでもいいと思っていた姉と弟の仲、本当はそうではなかったという振り返りを自分でしていると思われます。
ふと、自分にもこういう気持ちがあったなぁと思わせられますね。
許しについて、もうひとついい詩があるので載せておきます。
許しうるものを許す
それだけならどこに神の力が要るか
人間に許しがたきを許す
そこから先きは神のためだと知らぬか
「八木重吉全詩集2 貧しき信徒 詩稿Ⅲより抜粋」
統一感がない・・・けどいいや。過去は変えられないし
時には自分を振り返る、こういう機会を持つのもいいことですね。